春日若宮おん祭 2014の日程は?流鏑馬などの由来は?
奈良の 春日大社ではおん祭が行われます。
7月1日には流鏑馬定、10月1日には縄棟祭、
12月には月初めと15日~18日にかけての4日間におん祭があります。
今回は、そのなかでも12月15日~18日の
中心神事の日程や春日大社と興福寺のゆかり、流鏑馬の由来
などについて紹介します。
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目次
2014年の春日若宮おん祭の日程は?
春日若宮おん祭りの日程を簡単に紹介しますね!
15日は13時から大宿所詣、
14時30分と16時30分と18時から御湯立、
17時から大宿所祭となっています。
16日は14時30分から大和士宵宮詣、
15時から田楽座宵宮詣、
16時から宵宮祭となっています。
宵宮祭とは、17日に行われる遷幸の儀に先立って
若宮神前に御戸開の神饌を奉り、祭典の無事執行を祈る行事です。
17日は若宮様といって、一番盛り上がる日となっています。
0時から遷幸の儀、1時~2時に暁祭、9時から本殿祭、
また、0時にお渡り式が始まり、奈良県庁前広場を出発します。
0時50分から南大門交名の儀、
13時から松の下式と競馬が行われ、
14時30分から稚児流鏑馬とお旅所祭です。
15時30分~22時30分の間には田楽・猿楽・和舞などが行われ、
23時に還幸の儀となっています。
最終日の 18日は13時に奉納相撲、
14時に後宴能を行い、中心神事は終了となります。
春日大社と興福寺のゆかりは?
春日大社と興福寺は昔から 神仏習合の関係にあります。
理由は、興福寺は藤原氏の氏寺で、
春日大社は藤原氏の氏神を祀る神社ということもあり、
どちらも藤原氏を仲立ちとして良好な関係を保っていたからです。
そして時代の流れの中で、神の苦悩による心身離脱などの元に、
寺が神社の管理を行うところなども出てきました。
このころから寺と神社は一体化してきて、
江戸時代の終わりまで互恵関係にありました。
明治時代には神仏分離令が出ましたが、
それでも春日大社と興福寺はたがいに交流が続けられ、
年始めには 「日供始式並興福寺貫首社参式」が行われています。
流鏑馬の由来とは?
流鏑馬の由来は西暦1334年~1335年にまでさかのぼります。
建武の功臣であった 建武師行は
北畠顕家に従軍して甲斐から陸奥に下り、八戸根城を築きました。
櫛引八幡宮は師行の本家筋にあたる
三戸南部氏の「南部の一宮」といわれる社格高い祈願所でしたが、
そのころは朝鮮方にくみしていたので、威勢があがりませんでした。
そこで、さびれていた例祭を再興して、
流鏑馬の神事を始めました。
戦国時代は神事としてではなく実践で使える競技として行われ、
三戸や七戸からも射手が参加していたようです。
神馬の項で南部守行の奉納馬が 青毛と 鹿毛だったことから、
今でも流鏑馬を行うときには
この2種類の毛色の馬を用いることになっています。
いかがでしたか?
昔からの慣わしを7月~12月まで行い、
12月には4日間も通して行う春日若宮おん祭。
今年はぜひ行ってみてはいかがでしょうか。
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