千歳飴の名前の意味と由来・アレンジした食べ方もご紹介!

七五三と言えば、着物を着て神社でお参りをして、
お土産に 千歳飴をもらう、という情景を思い浮かべる方が多いと思います。
でも、その定番の千歳飴についてはあまり知られていません。
そこで今回は、千歳飴に込められた意味や、その由来、
残ってしまった場合のアレンジした食べ方などをご紹介しますね!
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目次
千歳飴にはどういう意味が?
七五三参りのお土産でもらう定番の千歳飴は、
食べて祝う飴とされています。
親が我が子への長寿の願いを込めて、細く長い形になっています。
縁起が良いとされる紅白それぞれに着色された細長い飴が
鶴亀や 松竹梅など、縁起の良い絵が描かれた長い袋に入れてありますよね。
形や色は、地域によって違いがありますが、
大きさには決まりがあり、直径15mm以内で、長さは1m以内です。
江戸時代から始まったとされている千歳飴は、
乳幼児の死亡率が高かった頃に、節目を迎えるお宮参りや、
七五三の時の縁起物として欠かせない物でした。
今では、医療が発達して昔のような心配は減ってきていますが、
そのままの形で、縁起を担いでお祝いする習慣はずっと残ったようです。
地域によっては、七五三祝いの 内祝いとして、
親戚などに千歳飴を配ることもあるそうです。
子供が元気で育って行く、いわば「幸せのおすそわけ」という意味がありますが、
そんな内祝いはもらった方も嬉しくなりますね。
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千歳飴の由来とは?
千歳飴の由来には2つの説があると言われ、
江戸庶民の人気を集めていたとされています。
1つ目は、元禄の頃に浅草で飴売りの七兵衛さんが、
紅白の細長い棒状の飴を売り歩いていたそうです。
・「千年飴(せんねんあめ)」
・「寿命糖(じゅみょうとう)」
などと名付けて長い袋に入れ、売り歩いたのが始まりと言われています。
2つ目は、1615年、大阪の平野甚左衛門さんが
江戸に出て売り始めたという説があります。
江戸庶民の代表的なお菓子だった飴に名前を付け、
商売を始めたのが由来とされているようです。
いずれにしても、当時は、時代劇で見かける「出発する時の火打石」や、
「塩でお清めをする」など、縁起を担ぐ物は非常に多かったようですね。
七五三のお祝いの相場とは?
千歳飴の食べ方・アレンジすべし!
縁起を担いで細長くなっている千歳飴は、
そのままだと、どうしても食べ辛いですよね。
縁起物だから折ったり、砕いたりするべきでは無い、
という話もよく耳にします。
しかし、縁起物ならば、まず食べ切ってしまうことに意味があります。
ですから、実際に食べる時は、
食べやすい大きさにして割って頂く人がほとんどです。
そのままで食べるというのは、多少無理があるかと思います。
飴ですから、熱で簡単に溶けますし、
クリーミーな味なので、色んな料理に活用する人も多いです。
簡単に言えば、 砂糖の代わりに使って調理をします。
私のおすすめの食べ方としては、 大学芋や 煮物に入れたり、
パンに練り込む方法です。
とにかく食べ切るのが一番ですから
「幸せのおすそわけ」を頂いたら、色々と試してみて下さいね。
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